出版社/著者からの内容紹介
ここ数年増加の一途をたどる女性起業家は、男性とは異なった新しい発想や業務内容による事業展開が注目されている。本書では、そんな女性社長21人にインタビューし、起業の動機、経営の喜び、成功の秘密や失敗談など、起業の真髄を本音で語ってもらう、事業家へ贈る実学の書。
抄録(「電子書店パピレス」より)
◆エステの世界に入られるキッカケは、家業が美容院だったからですか?
【たかの】 そうではないんです。母子家庭だったので母親は私を抱えて大変苦労しましてね。昔の女性は結婚しないと一人で生きていけない。手に職があれば生きていけるのではないかと母に勧められまして。
うちの親戚が理容師や美容師だったんです。母親の考えでは、最終的に手に職として活かせるものは理容師。たとえ戦争があっても兵隊の頭を刈る仕事ができるから、お前は床屋になれと。そういうことで嫌でしたが、泣く泣く理容師になったんです。
◆理容師の方は手が器用で例えばピアノを弾くとか……。
【たかの】 あるいは彫刻とか絵が好きな人が多いですけれども、私は好きでなったわけではないですから。だいたい不器用なんです。中学校でバレーボールをやっていたんです。ですから、指が太くて。中学二年の時に「お前を床屋にするから、バレーボールは辞めなさい」と母親が言うので辞めさせられました。手をしなやかにしなければいけないということで。
床屋は嫌だったけれども、自分の運命ならば、床屋のナンバーワンになろうと考えたんです。中学を出てすぐに理容学校に入ったんですが、高校ぐらい出ておかないと困るので、定時制高校と二足の草蛙《わらじ》を履いたんです。
トップを目指そうと考えて、床屋の競技会にどんどん出まして、競技指向でがんばったんです。群馬県の理容コンクールで入賞したとき、これからは男もおしゃれになるなという予感がしたんです。
日本人は直毛ですから、パーマの技術が必要だと思い、パーマの技術を習うために、山野美容学校に入学して競技会に出たわけです。定時制も卒業しましたし、四年経つと一人前ですから、ある程度何でもできるようになります。それで東京に腕試しに出てきたんです。
麹町の理容室に勤めまして競技会に出て入賞したのですが、やはり自分の師匠が競技指向とか、そういうことに熱心な人でないと優勝までいかないんです。自分なりにすばらしい出来なのに、三位とか二位とか……。
◆相当努力されたんですね。
【たかの】 東京に出てきた理由の一つには自分のお店を持ちたいという気もあったので、夜七時に理容室の営業が終わりますので、その後八時半くらいから深夜一二時まで皿洗いをしました。本当に休みなく、夜も昼も働いて。はっと思ってみたら顔中ニキビでブツブツなわけです。
働きすぎとストレスが原因だったんでしょうね。床屋の仕事はずっと立ちづめで椅子もないですから、トイレに行って休むしかない。当時は洋式ではなく和式ですから、しゃがんで休むわけです。そうしたら、脚の裏側にびっしりあせもができてしまいました。悪い病気にかかったんじゃないかと思ったほどです。薬局の店頭にレブロンという化粧品があったんです。「これをつけてみたら。にきびが治るわよ」とビューティアドバイザーが言ってくれたんです。
◆そこから化粧品にご関心をお持ちに……。
【たかの】 それまで化粧気もなく働いたんですが、ニキビが治ったら、急にきれいになったわけです。化粧品の勉強がしたいなと思って、そのビューティアドバイザーに、私もレブロンに入りたいと言ったら紹介してくれて、面接という運びになりました。化粧品の勉強を一カ月させてもらって楽しかったです。
メイクが猛烈に上手になって、目なんか三倍ぐらい大きくなるくらいのインパクトのある顔になりました。そうすると、モデルになりませんかとか、テレビに出ませんかとか、いろいろ言われてしまうわけです。信じられないでしょうけれども。
なんで化粧が上手になっただけで、いきなり外車が横付けになったり、いきなりホテルでお食事になったりするんでしょうか。女性は美しくなれば人生が変わるんだとつくづく思いました。そんなときに、フランスに自然治癒力を活用して治すエステティックというものがあるという新聞記事を見ました。この記事にすごく共鳴して、これを学ぶにはフランスに行くしかないということで、それまで貯めたお金を持って行ったんです。
◆当時は旅費なども高額で、大変だったでしょう。
【たかの】 もう、行ったら帰ってこられないと思いました。当時のお金で旅費だけで三五万円ぐらいでしたね。私は一〇〇万円貯めていましたよ。ボーイング727に乗っていきましたけど、生きて帰れないかもしれないみたいな気持ちで行きましたね。
◆そのとき、いずれエステは当たるというヒラメキみたいなものがあったんですか?
【たかの】 ビジネスにしようという気はなかったんです。とにかく日本を離れて学びたいという考えでしたね。帰りのチケットさえあれば何とかなるのではないかと楽観的でした。
レブロンの女の子と二人で行ったんです。この子がパリに友だちがいたんです。その関係で美容組合の会長などいろんな人を紹介してもらい、アエジーナサロンというところに入れたんです。まだ今もあります。とにかく掃除でも何でもさせてほしいということで、パラフィンの後片付けなどの雑用から始めたんです。
八カ月ぐらいパリにいましたが、まだ日本で会社を作ろうなんて気持ちはなかったんです。それに、私自身が理容師・美容師をしていましたから、職人を使う大変さは熟知していました。人を使う仕事は絶対にやるまいと思っていました。
フランスで吸引式の美顔器を見ましてね。これは汚れを吸い出すお肌の掃除機みたいなものですが、作ってみようと思ったんです。カメラのキャノンのデザイナーにカタログを見せてこれを試作しまして、実用新案を取ったんです。
◆それは売れたんですか?
【たかの】 製品化しまして売り出したわけです。最初は売れなかったんですけれども、しばらくしてから飛ぶように売れたんです。そのころ、これからはマスコミの時代だから絶対にマスメディアに乗らなければ駄目だと。自分の名前を売っておくことではないかと思いまして、そこで「たかの友梨」とひらがなにしまして、いろんなテレビ番組に出たり、吸引式美顔器ということで記事にしていただいたりしたんです。
最初は、通信販売で売り始めたんですが、どんどん売れていくわけです。使い方のわからない人には電話でお教えしていたんですが、やはり化粧品のことは直に指導したほうがよいのではないかと考えまして東京・新大久保に一六坪の「たかの友梨ビューティクリニック」を開きました。
著者について
三浦 あかね(みうら あかね)
静岡県生まれ。最終学歴、大阪大学文学部美学科研究室。
雑誌記者を経て、現在フリーランスのジャーナリストとして幅広く活動。『中内功のビジネス金言集』『中内功の成功哲学』『華僑ビジネスに成功する法』『売上日本一・マツモトキヨシの秘密』など著書多数。