出版社/著者からの内容紹介
実務知識偏重でもなく理論倒れでもなく、日本の現実をふまえた本質的な分析・提案・実行ができる人材を育てたい。それが国立での経営学修士コースのねらいである。そのコースを担当している4人が現実の経営の諸問題をどのような切り口で切ろうとしているのか、さまざまな問題を実際に取り上げて論じた『一橋大学ビジネススクール「知的武装講座」』。本書は、電子書籍化にあたり、これを1人ずつのパートに分冊したもののひとつである。ほかのパートと併せてお読み頂き、ぜひ4人の結論・見解を読者のみなさんと共有したいと思うとともに、その結論に至る論の進め方に出ているであろう私たちのMBAコースのスピリットをも感じていただきたい。
抄録(「電子書店パピレス」より)
課題11 企業を評価する新しい尺度「企業価値」「株主価値」とは?
ケーススタディ 日本初の昭栄、エスエス製薬へのTOB
ポイント
他社の株式を一定期間にわたって決められた価格で買い付けて経営権を取得するTOBが、わが国でも行われるようになった。日本企業の判断基準からするとそれに応じることは非常識以外のなにものでもなかった。しかし、「企業価値」という尺度に照らすと、必ずしもそうとはいえない。二つのTOBのケースから「企業価値」とは何かを考える。
◆日本で初めて行われた二件のTOB
二〇〇〇年にわが国の経営史上、初めての出来事が二つ起こった。一つはエム・エイ・シーによる昭栄に対するTOB(Take Over Bid*)、いま一つは日本ベーリンガーインゲルハイムによるエスエス製薬へのTOB。
TOBとは株式の公開買い付けを表す言葉で、当該他社の株式を一定期間にわたって決められた価格で買い付ける行為を指す。いわば経営権を取得するための手法で、アメリカなどでは日常茶飯事となっている。
では、わが国では、なぜこれまでTOBが生まれなかったのか。その大きな理由は、わが国の株式の保有構造にあった。すなわち、株式持ち合いや金融機関などによる安定株主構造がTOBの障害となってきたのである。
それが、ここにきてなぜTOBが起こったのか。その背景には、金融機関による持ち合い株式の処分が進行しているという状況があり、それを促しているのが、会計ビッグバン*による持ち合い株式の時価評価の動き、銀行の不良債権処理といえる。つまり、これまでわが国にお決まりの構造だった株式持ち合いが崩れつつあることが、こうしたTOBを誘発した一般的背景といえる。
そうした背景のもとに発生した二つのTOBのうち、エム・エイ・シーによる昭栄へのTOBは「失敗」した。昭栄の発行済み株式総数の六・五二%しか取得することができなかったからである。しかし、今回のTOBがわが国の産業界にもたらした意義や教訓は計り知れないくらい大きい。以下、それを考察しよう。
エム・エイ・シーがTOBをかける際に主張したのが、昭栄の経営陣は株主価値を高める経営を行っていないため、経営権を取得することによって、それを可能にするというものだった。エム・エイ・シーの社長である村上世彰氏が元通産官僚だったことも、今回のTOBが注目を集めるのに一役買った。村上氏は、わが国におけるM&Aの法整備などに携わり、わが国の経営者があまりにも株主の利益を無視していることに失望し、自ら民間に身を転じ、実践することにしたという。
昭栄へのTOBが「失敗」したのに対し、エスエス製薬へのTOBは「成功」した。発行済み株式の三五・八%を取得できたからである。一見、成否を分けたTOBだが、二つの間には共通点があった。それは、昭栄やエスエス製薬と持ち合い関係にある金融機関や法人株主が動かなかったことである。
新聞等のマスコミの論調も、「金融機関等の持ち合い構造は依然として強固」というものだった。この報道を聞いて、「やはり」と思った読者も多いだろう。「わが国の経営構造を突き崩すには『一石』を投じたぐらいではダメだ。やはり、まだまだ時間がかかる」ということなのか。しかし、はたしてそうだろうか。このことを昭栄のケースで検証してみよう。
◆企業価値から分析するとどうなるか
失敗の原因は、当時株価が八〇〇円だった昭栄の株式を一〇〇〇円でTOBをかけたが、その後、株価が一四八〇円まで高騰してしまったこともある。しかし、それ以上に安定株主である金融機関が、TOBに応じなかったことが大きい。これまでの長期保有というわが国の金融機関の行動様式からすれば、当たり前すぎるぐらいの行動である。まさに「予想どおり」であり、「一件落着」となりそうである。
しかし、そうではないのである。今回TOBに応じなかった金融機関は、今回の行動をどう説明するのだろうか。決して「当たり前」の行動だったのではない。もしTOBに応じていれば、少なくとも二〇〇円のキャピタル・ゲインを手にすることができた。取得原価と比べれば、場合によってはそれを上回る多額のゲインが得られたはずである。TOBに応じることを拒否することによって、そうしたゲインを放棄したわけである。
では、なぜ放棄したのか。それは昭栄への株式投資が、「政策投資」であり、本業(与信や保険契約)での継続的な取引関係を重視したからだろう。しかし、「企業価値」という経営尺度に照らすと、必ずしもそうとはいえないのである。つまり、今回の行動は「企業価値の最大化」という視点からは自明ではなく、重大な問題を提起するのである。
昭栄の「企業価値」、あるいは「株主価値」ならぬ、当の金融機関の「企業価値」という視点からは、今回の行動をどう正当化できるのだろうか。
第一に、昭栄との取引関係を継続することによって、今後得られる利子や保険収入が、今回放棄したキャピタル・ゲインより大きいことをどう証明するのか。この証明はじつは容易ではない。TOBに応じていれば、二五%(二〇〇円/八〇〇円)のリターンが得られたはずである。したがって今回の行動を正当化するためには、利子や保険という本業のリターンがこれを上回っていなければならない。はたして、本業の収益性はそれほど高いのだろうか。
いうまでもなく、日本企業のROE(株主資本利益率)はきわめて低く、九九年三月期の全産業の平均ROEは一%に満たない。あるいはROA(総資本経常利益率*)を見ても、一・九三%にすぎない。金融機関も例外ではない。とても、二五%の収益性など実現していない。つまり、本来の取引関係によって二五%の収益性を実現することはきわめて難しいのである。
第二に、金融機関は株式持ち合い等によっていまだ大きな含み益を持っている。しかし、会計制度の変更に伴って持ち合い株式を時価評価するとなると、ROEは現状より大きく下落することになる。なぜなら、プラスの評価差額(すなわち含み益部分)が株主持ち分に加えられるからである(ただし、売買目的の有価証券の含み益は損益計算書に計上される)。
持ち合い株式に巨額の含み益を持っている金融機関、その意味では優良な金融機関の中には、時価評価するとROEが現在の水準の二分の一以下に下がるところさえある。そんななかで、とりわけ好条件を提示された持ち合い株式を処分しないことの合理性を説明することは難しい。
第三に、金融機関の保有株式を時価評価して(すなわち含み益を算入して)株主持ち分を計算し、それを株式の時価総額と比較した場合、金融機関各社は軒並み、後者が前者を大きく下回っている。つまり、時価ベースのPBR(株価純資産倍率*)が一を割っているのである。これは少なくとも三つの意味で危険な状態にある。
*この続きは製品版でお楽しみください。
著者について
伊藤 邦雄(いとう くにお)
1951年、千葉県生まれ。75年一橋大学卒業、80年同大学大学院商学研究科博士課程修了。現在、一橋大学大学院商学研究科教授。商学博士。スタンフォード大学フルブライト研究員(87年〜88年)、通産省特別研究官(90年〜93年)。
はしがき
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