出版社/著者からの内容紹介
先人が教えてくれる中国とのつき合い方。高杉晋作から、夏目漱石、吉田茂、大江健三郎まで、幕末からの150年間、日本人は中国とどうつき合ってきたか――。今、ビジネスパートナーとして注目を集める中国の近代史を、現地を訪れ、あるいは現地に暮らした日本人の見聞を通して読み解く、まったく新しい中国理解のための入門書!
抄録(「電子書店パピレス」より)
第1章 高杉晋作 たかすぎ・しんさく 1839―1867
「租界都市」上海の繁栄と外夷の影
租界都市の誕生
上海の近代は、一九世紀なかばにイギリス・アメリカ・フランスが建設した租界《そかい》都市としてはじまった。それ以来、上海は市場、商工業、出版、教育、恋愛、核家族など、中国が欧米資本主義の諸制度を取り入れる窓口となり、中国の国民国家建設の中心都市となったのである。
秦、漢以来、中国では中央政府が直轄する末端行政区画として一五〇〇から二〇〇〇の「県」が置かれた。中国東南海岸部の交易基地として上海がうまれたのは唐代のこと。元初の一二九二(至元《しげん》二九)年には上海県として独立、明代には倭冦《わこう》の侵入を防ぐため城壁と周濠が設けられ、県城《県行政府が置かれる都市)としての体裁もととのった。現在の南市区の中華路と人民路の環状路は、一九一二年に城壁を撤去してつくられたものである。清代に入ると、一六八五(康煕《こうき》二三)年には寧波《ニンポー》の浙海関《せっかいかん海関=海港場に設けられた税関)など三か所とともに江海関《こうかいかん》が置かれ、上海は江南の中心的商業都市の一つとなった。
アヘン戦争(一八四〇〜四二)後に結ばれた南京条約(一八四二)の結果、清朝はイギリスに香港島を割譲し、広州・厦門《アモイ》・福州・寧波とともに上海を開港することが取り決められた。これら沿岸五港のなかでも、上海は中国主要部への交通路である長江河口に位置し、広大にして豊富な生産力をほこる沖積デルタ地帯の江南を後背地とし、相互に水陸交通で結ばれた中小都市群と巨大な人口をしたがえていたため、わずか数十年で中国の中心的都市にして世界的大都市へと急成長する。一八四六年以降、英・米・仏三か国は相次いで上海に租界建設を開始し、一八六三年の英米両国租界地の合併による共同租界《The International Settlement of Shanghai:公共租界とも訳される)成立をへて、租界地は一九一四年までに三二平方キロに拡張されたのである。
新興上海を闊歩した若侍
一八六二年七月一六日、すなわち日本の旧暦では文久二年六月二〇日、黄浦《こうほ》江沿いに南北に広がるイギリス租界とフランス租界との境界線を流れる運河洋※浜《ヤンチンパン》(現・延安東路)を丁髷《ちょんまげ》帯刀の一人の若く凛々《りり》しい日本の侍が歩いていた。高杉晋作である。晋作は長州藩でも大組に属する禄高《ろくだか》二〇〇石の高杉家の一人息子で、五年前に藩校の明倫館で学ぶかたわら吉田松陰《しょういん》の松下村塾《しょうかそん》に入門して頭角をあらわし、松陰から「識見気魄《きはく》他人に及ぶなく、人の駕馭《がぎょ》を受けざる高等の人物」と期待をかけられた。二〇歳で江戸に出て昌平黌《しょうへいこう》に学び、長州にもどってからは軍艦教授所に入所、さらに翌年には藩主の跡継ぎである毛利元徳《もとのり》の小姓《こしょう》に抜擢されている。
この長州藩の若きエリートが最初期に上海を訪れた日本人の一人となったのは、幕府が情報収集と貿易を目的として派遣した千歳丸に同乗するよう藩命を受けたためである。松陰の感化を受けて海外情勢に深い関心を寄せていた晋作は、大喜びで江戸から陸路を長崎に向かい、千歳丸に乗船した。千歳丸が長崎で干しアワビ、フカヒレなどの輸出品を積みこんだのち、上海に向かったのは五月二七日のこと。東シナ海の荒波をこえ長江河口に着いたのは五日後のことだった。翌六月二日、川蒸気船に引かれて黄浦江西岸の上海港に到着したときの印象を、晋作の日記は興奮気味に次のように記している。
此レ支那第一ノ津港《しんこう》ニシテ、欧羅波《ヨーロッパ》諸邦ノ商船軍艦数千艘停泊シ、檣花《しょうか》ハ林森《りんしん》トシテ津口《しんこう》ヲ埋メントス。陸上ハ則チ諸邦商館ノ粉壁《ふんぺき》千尺、殆《ほとん》ド城閣ノ如ク、其ノ広大厳烈、筆紙ヲ以テ尽クス可カラザル也。
「檣花ハ林森」とはマストと帆が森のように無数に立っている様であり、「諸邦商館ノ粉壁千尺」とは欧米諸国が建てたビルの白い壁が延々とつづいているようすである。はじめて見る外国、はじめて踏む西洋風の街を前にして、晋作は興奮を禁じえなかった。
*この続きは製品版でお楽しみください。
著者について
藤井 省三(ふじい しょうぞう)
一九五ニ年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程終了。文学博士、東京大学教授。専門は現代中国文学。
まえがき
第1章 高杉晋作 「租界都市」上海の繁栄と外夷の影
第2章 血脇守之助 天津、有力者の胸襟を開かせた歯科治療
第3章 後藤新平 「生物学の原理」にもとづいた植民地台湾経営
第4章 夏目漱石 列強に追随する日本への疑心
第5章 清水安三 北京、魯迅との交友
第6章 吉田茂 張作霖との会談、満州特殊権益を拡大せん
第7章 川喜多長政 上海映画界を守り抜いた電影人の矜持
第8章 李香蘭 敵対する二つの祖国、わたしはいったい誰なのか
第9章 中薗英助 占領下の北京、友よ、交戦国のわが友よ!
第10章 森繁久弥 「満州国の夜の支配者」甘粕正彦の思い出
(以下、略)
参考文献