出版社/著者からの内容紹介
ペンの力を武器に、田中角栄を政権の座から引きずりおろしたことでも有名なベストセラー作家・立花隆。今や「知の巨人」と称せられるに至った彼だが、だがその著作は、「巨人」の称号に相応しい価値を真に備えているのだろうか? 立花隆の多彩な著作・発言を徹底検証し、語られざる欠陥を指摘する。
抄録(「電子書店パピレス」より)
■角栄研究の取材・執筆
「開設されたばかりの大宅壮一文庫で角栄関連の資料を全部コピーしてきた。チョコチョコお目当ての物だけ利用するんじゃなくて、全部持ってくるような利用の仕方は、多分これが初めてなんですよね。とにかく、その時に手に入る限りの基礎的な活字資料を全部わーっと集めたんですよ」
「一番最初から月刊誌があれだけ金と人を使ってやるのは初めての経験なんですよ」
「それから文春社員の友人知人とか、翌年の文春就職が内定していた学生数人をアルバイトに頼んで、自治省に行って政治資金報告書などを筆写するとか、資料からチャートを作成するとかプロ記者のアシスタントをしてもらった」(前掲『立花隆のすべて』中の、本人の発言)
『文藝春秋』一九七四年十一月号に発表された「田中角栄研究―その金脈と人脈」執筆当時をしのんだこの言葉に、同記事に係わった彼のポジションが問わず語りされている。要するに「角栄研究」は、立花の名を冠した、取材、調査のプロジェクトチームの仕事だったのだが、こうしたやり方は高度成長期に花開いた出版社系ジャーナリズムの、主として週刊誌が開拓したものである。すなわち一本の記事を、編集者と、データマンと呼ばれる取材記者と、アンカーと称せられる文章作成役の三者の、完全な分業体制で“産出”する方法。その場合、編集者は企画の原案や取材の指示、記事のコンテづくりを担当し、複数のデータマンは取材に専念することになるから、新聞記者だったら見落とすか、切り捨ててしまいそうな、ニュースにおける雑多な情報をより多く、幅広く集めることができる。集まったデータ原稿を、アンカーは、これも専一的に、“人間的興味”に富んだ一篇の記事に仕上げるという次第で、この方法はジャーナリズムに出版社系ならではの特色を醸すに適したものとして定着したのである。
そして、この方式を、テーマを鮮明に絞り込んだうえで、アンカーとしての立花に強い権限を与え、かつて無かったほど多数の人員、多額の資金を投入して駆使したのが「角栄研究」だった。
「このテーマにそれほど気乗りしていたわけでもなかったので(編集部からの依頼を―引用者)何度も断わった。しかし、人手はたっぷり用意するから、取材のプラン作りと、その進行具合のチェックと、最後のまとめ役だけということで、強引に引き受けさせられた。
そんな事情だったので、はじめはかなり腰が重い感じで動いていたのだが、だんだんほかのスケジュールを全部切って、全面的にこの企画にのめり込んでいくことになってしまった。そしてついには、文藝春秋社の仮眠室に泊り込んで、自分のプライベートな時間がゼロという日々が続くことになる。
なぜそんなことになったのかといえば、とにかく面白かったからである。なにがそんなに面白かったかといえば、やはり、謎解きの面白さであろう」(講談社文庫『田中角栄研究全記録』)
立花のこの言葉に出てくる「最後のまとめ役」というのが、まさに「アンカー」のことであり、ここには彼の「価値中立的」な立場も浮かび出している。自分が田中角栄の金脈暴露をテーマにしたことの記事に係わったのは、別に彼を批判したかったからでも、正義感にかられたからでもなく、まるでパズルを解いていくような「謎解き」の面白さに熱中したから、というわけである。
「角栄研究」で立花は、調査報道という新たな手法を日本のジャーナリズムにもたらしたとされた。ルーティンワークに追われて、事象の表面をなぞって終わりがちな新聞報道に対し、データの集積を主眼とした粘り強い取材によって得た「事実」に解析を加え、政治の「巨悪」をあぶり出した(かに見えた)彼の手腕が、そのように評価されたのである。立花の「調査報道」的な仕事は、その後『中核VS革マル』(七五年)『日本共産党の研究』(七八年)『農協』(八〇年)と続くのだが、このような“旗手”としての立花の登場は、出版社系ジャーナリズムの、新聞(の報道姿勢、あるいはその文明史的な在り方)への挑戦という側面があった。
制度化した新聞が見失いつつある、批判力に満ちた自由な言論の主体たりうるのは、こちらの方だ、というわけである。
「角栄研究」に即していえば、政治の現場に一番近いところにいるはずの新聞記者が(クラブ制度に足枷をはめられるなどで)なしえなかった「金権政治」の実態暴露を、雑誌が、雑誌ならではの機能をフル回転させて見事にやってのけたではないか、という次第。
ノンフィクションという表現の一形態が、ジャンルとして(出版社系の媒体を軸に)強く意識化されたのも、立花の登場をひとつの契機としたものだった。
「価値中立」、あるいは「脱イデオロギー」という点に関していうと、経済成長のまにまに形成された大衆の欲望、興味、生活実感等に照準をあわせて発展した雑誌ジャーナリズムには、もともと能動性を帯びた「脱イデオロギー」とでもいった性質があったのであり、新聞の「不偏不党」とかいった受身かつ不活発な中立性(あるいは客観性)とは一線を画していた。そうした雑誌ジャーナリズムの神随を体現したかのような存在として、立花は華々しくブレイクしたのであった。
話はちょっと脇道にそれるが、ここで、七四年という年の世相を簡単に振り返っておこう。巨人V9の立役者、長嶋茂雄が現役を引退、同球団の監督に就任したのが、この年十月から十一月にかけて。夏の甲子園の高校野球に金属バットが登場、大相撲では北の湖が二十一歳二ヶ月という史上最年少で横綱に昇進した。歌の世界では、井上陽水のLP「氷の世界」が年明け早々から爆発的に売れ、グレープ(さだまさしと吉田政美のグループ)の「精霊流し」の大ヒットとともに、かつては「反体制」的であったりもしたフォーク・ソングの私小説的世界への移行はいよいよ本格化した。
六月から十二月にかけて、三菱重工本社や三井物産等を標的とした、「企業連続爆破」事件が勃発。池田理代子原作の漫画『ベルサイユのばら』が宝塚歌劇にオン・ステージされて人気を博し、NHKの「ニュースセンター9時」に日本で初めてのニュース・キャスターとして元外信部の磯村尚徳が登場したのも、この年のこと。映画『エクソシスト』がヒットし、“超能力者”ユリ・ゲラーやスプーン曲げの関口少年がテレビや雑誌で話題になり、五島勉『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)が大ベストセラーになるなど、超常的な諸現象、オカルト的な世界像への世の関心が、かつてなく高まった。
三月には、フィリピンのルバング島から小野田寛郎元少尉が帰国。八月には、神奈川県平塚市で、ピアノの音がうるさいという理由による一家三人殺害事件が起きた。
そして、前年に日本を直撃したオイルショックは、時の首相・田中角栄に「列島改造」路線の実質的な断念を余儀無くさせたのだったが、狂乱物価と名づけられたインフレ経済はたえず彼の政権基盤をおびやかし、七月の参院選で自民党は惨敗。参議院の与野党の勢力差はわずか七議席になった。これを受けて、三木武夫副総理、福田赳夫蔵相は相次いで辞任。つい二年前には「今太閤」「庶民宰相」などともてはやされていた田中の支持率下落を背景に、政権をゆさぶりにかかった。
立花の「角栄研究」が、田中の秘書であり愛人であった佐藤昭のことを書いた児玉隆也「淋しき越山会の女王」と並んで活字になったのは、そんな矢先のことだった。
著者について
朝倉 喬司(あさくら きょうじ)
1943年岐阜県生まれ。早稲田大学第一文学部社会学科中退。犯罪評論家、ルポライター。著書に「電子・少女・犯罪」(現代書館)、「毒婦伝」(平凡社)、「怪盗疾る 型破り!明治侠骨伝」(徳間書店)、「誰が私を殺したの」(恒文社)、最新刊に「涙の射殺魔・永山則夫と六〇年代」(共同通信社)、「こっそり読みたい禁断の日本語」(洋泉社)、「ヤクザ・風俗・都市―― 日本近代の暗流」(現代書館)、共著に「犯罪季評」(朝日新聞社)、「現代資本主義論」「解体される子どもたち」(青弓社)など多数。犯罪から芸能界まで、“異形、異例”の分野に関する造詣の深さ、分析の鋭さには定評がある。
はじめに
第一章 「知」の偽装は今も
処女作からすでに誤謬が…
出発点のうさんくささ
こじつけのオンパレード
第二章 田中角栄研究の是非
角栄研究の取材・執筆
田中首相退陣
角栄VS立花の第二ラウンド
これが「体制のくずれ」?
感情が先走った選挙分析
ロッキード裁判始まる
ついに角栄をビョーキ呼ばわり
高揚するマスコミの威力
第三章 ロッキード裁判反批判の欠陥
「嘱託尋問調書」をめぐる論争
最高裁の国辱的な?決定
法律のプロへの珍チャレンジ
御都合的で幼稚な法解釈
恐れ入った「止どめ」
巧妙な論点のすりかえ
卑劣な論争の手法
主人に逃げられた番犬
世論の波に流された裁判所
第四章 終末論による我田引水の論評
おのれの強迫観念を投影
錯視像相手の文明論
ナチスそこのけの優生思想
環境ホルモンと悪い遺伝子
実験動物のような人間
超能力への傾倒
陰謀史観への転落
知の絶望的な停滞
第五章 『臨死体験』の不可解な二分法
臨死体験の解釈
おかしな二分法
乱舞するニューエイジの神々
臨死体験の“非神秘的”構造
『宇宙からの帰還』への信仰
行きつく先はチンケな幻影
第六章 知の大爆発!?
「知」への過信
バブルの本質についての無知
またしても顔を出す人間二分法
“爆発”にビル・ゲイツも困惑
今や明らかな「知」の正体
参考文献