昭和下町人情ばなし

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価格:¥ 420
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■ 内容紹介

出版社/著者からの内容紹介
 戦前の洋食屋、父自慢の厚焼き玉子、闇市の帰りに吸った生卵、正蔵師匠の牛スジ鍋、正楽師匠の菓子パンなど……「笑点」の名物男・林家木久蔵が語る、昭和の食べものと下町の人情。


抄録(「電子書店パピレス」より)
 はじめに

 カーキ色の軍服に身を包み整列した軍隊の行進が続きます。ラッパを吹く兵を先頭に、銃をかついだ兵の一団が進むと、また次の部隊が現れます。
 人形町から浜町方面に向かって、隊列勇ましく軍靴の音高く進んで行きます。
 陸軍の歩兵隊のあとを、轟々とキャタピラの音をひびかせて、次は戦車が続きます。両側の沿道には人の波、手に手に紙の日の丸の旗をふり、陸軍の行軍演習を見学しています。
 バンザイ! バンザイ! 兵隊さんバンザイ! ラッパの音が、トテチテタ トテチテタ と幼い子どもたちの耳に聞こえます。そしてそれをもじって僕たちは替え歌の合唱をくり返します。

    トッテッタ、トッテッタ
    なにトッテッタ
    ネコがネズミをトッテッタ (くり返す)

 僕が四歳だった昭和十六年に、日本軍は中国大陸に戦火を拡大させながら、今度はアメリカ、イギリスを敵として新たな戦争をはじめて、これを大東亜戦争と呼称していました。
 僕の幼少時代は、日本が世界を相手に国民を鼓舞しながら、国運を不幸な道へと傾けてゆく途中でしたから、子ども心にも何だかまわりがおかしいなぁと思ったシーンが度々ありました。
 それでも東京大空襲以前は、東京の下町の朝はまだ平和でした。僕の生家は日本橋久松町。久松小学校正門前に並ぶ商店の煮豆屋で、ふうふう炊きたてのうずら豆を買って、納豆売りの老人から納豆を、豆腐売りのおじさんから豆腐と油揚げを味噌汁の具に求め、あとは焼きのりに古漬けのお新香、父を中心に丸いちゃぶ台を一家が囲み、おひつからは炊きたての白いごはんの湯気がたちのぼり、なごやかな気配でした。
 僕が六歳になった昭和十八年、ビクターから出たお正月用のレコードがあります。

   「坊やお聞きよ」
            門田ゆたか/詞
            島口駒夫/曲
  一、坊や美味いか 特配の
    砂糖で炊いた豆の味
    これもみなみの 国からの
    兵隊さんの贈り物
  二、坊やいつかのゴムまりは
    仏印進駐の 記念品
    今にアメリカ 亡ぼして
    自動車ぐらいは 土産物

 この歌とはうらはらに戦果は悪い方向へと進んでいて、僕たち少年少女は少国民と呼ばれ、国の物資の不足を「欲しがりません勝つまでは」と勝つはずのない戦争に期待させられていました。実際、昭和十八年には、正月用の砂糖と清酒がちょっぴり家庭に配給されるだけという生活に、もうすでになっていました。

   きのう生まれたブタの子は/ハチに刺されて名誉の戦死/ブタの遺骨はいつ帰る/
   四月八日の朝帰る/ブタの母さん可哀そう

 こんな替え歌も覚えています。「湖畔の宿」(佐藤惣之助/詞、服部良一/曲)がもと歌で、これも子どもたちの間で大流行したものです。

※この続きは製品版でお楽しみください。


著者について
 林家 木久蔵(はやしや きくぞう)
 昭和十二年、東京日本橋生まれ。落語家。本名、豊田洋。三十一年に漫画家の清水崑氏門下に入門。三十五年に落語家の桂三木助門下に入門。同氏没後、林家正蔵門下へ移り芸名林家木久蔵となる。四十年、二つ目昇進。四十一年日本テレビ「笑点」レギュラーとなる。四十七年、真打昇進。日本漫画家協会参与、(社)落語協会理事、(社)日中協会参与、(社)日中俳人協会会員ほか。

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「昭和下町人情ばなし」紹介ページの最終更新日時
2005年10月24日 17:52:43
ID:1711
※実際の販売・ダウンロードは『電子書籍パピレス』にて行われます。